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心解放運動
Free Your Mind

I don't understand art.,2007
ぼくっち、もうよくわからないっち!
Acrylic ,lacquer paint and collage on canvas
152 × 115 cm
人間は常に「思って」いるわけで、「考え」が無(失)くなってしまうことが一番の恐怖であり、「死」である。
芸術の証左
生きている限り人はいつでも「考えて」いるわけで、頭で「思った」ことを行動に移している。
では、芸術としての「思った」とは何か?
山鳥重の著書『「わかる」とはどういうことか』で、かたちのある「心像」について触れている。
「心像の表象」は芸術の根源のひとつである。
しかもそれが、「考え」より前の段階である「思う」段階、つまり「知覚」に近い段階でスピーディに表象化されることは、個々人の芸術の発生源へとダイレクトに近づくユーモラスな体験となる。
2021.10.30 後藤てるみ
そもそもこれはアートの原初的な発生源である。『心開放運動』とも呼ぶ。芸術とはそもそも純粋な動機である。純粋であるがゆえ、純粋な制作を行うためには、脳内に現れたランダムなイメージを、整理することなく、現れた瞬間に画面に表し、定着させるべきだ。いちいち取捨選択をしたり、整えようとしたり、ナンセンスだと思うモチーフはなかったことにして捨てようとすること、それこそがもうナンセンスの塊なのである。ちっとも構わず、恥ずかしげもなく、立ち現れたイメージをそのまんま出しなさい。しかもたった1秒も立ち止まることもなく、猛スピードでイメージを定着させることに努めなさい。そうすればあなたは、そのがむしゃらに表した画面から初めて離れて絵を確認した時、大いに感動し、意外な程に素晴らしく出来上がった絵画に、涙を流すだろう。初めてこうやってできた作品《ぼくっちもうよくわからないっち!》を描いたとき、なんとなく、頭の右後ろで “岡本太郎” と4文字現れた気がした。後に5円チョコを買ったら、おみくじが付いていて「ゲイジュツはバクハツだ!」と茶色い字でうすく書いてあった。当時わたしは岡本太郎なんて好きでもないし知りもしなかったのに。なんとなくそれは「太郎先生」であり、なんとなくそれから太郎先生に応援されているような気持ちになった。それから油絵の具は使わなくなった。まったく馬鹿げているからである。純粋な動機とイメージが浮かんでいる間に、混色をしたり、高価な絵の具と数種類の溶き油を使用して描く行為なんて、非芸術的行為に過ぎない。そんなことをしている間にスッと浮かんだイメージが、逃げてしまう。イメージはすぐに逃げるのだ。だからなるべくイメージに合う色のアクリル絵の具を、猛スピードで買いに行くことにしたのだ。
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