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kotteについてなど。芸術についてなど。

芸術とは何か。芸術の発生源に焦点を当て制作やアートに関わり始める立場の人たちに学校という形式を用い「現代美術の学校kotte」を運営している。kotteとは私のアートに対しての見解を論理的に体系化した美術機関であり、その結果である。この学校という実践形式のために、わが国にとって効率の良い「美術教育推進」のため次のようなことを2015年より実践している。1:技術推進国である我が国/当民族に相応しい,卓越した高度な技術をリスト化し客観的かつ実践的に学ぶ. 2:美術先進国を目指す高度で優秀なアイデア/知識追求の視点を持つ. 3: 1の技術、2のアイデアを総括するテキスト教材及び講習会の構築及び研究. 4:1の技術、2の知識に加え、芸術の場である展示という芸術が社会へと直接繋がる場への実践力の向上. 5:1〜4を「アート教養課程」と定め、初歩からプロフェッショナルまでの道を科目設定し、単位化する. またkotteは私にとっての美術のユートピアでもある。美術教養というのはアウトサイダーアート従事者やマス・メディア、サイバー空間利用者など社会一般へも具体的に開かれるべきと考える。既存の美術関係者や美術従事者が一定の水準に達したより純度の高い面白いアートを世界に送り出すという仕事は概ね彼らに任せるが、アートに関わり始める段階で「アートの世界へようこそ」と招き現代美術などここ100年の美術史の文脈を具体的にかつ中立的に伝達する機関が日本には無いと見受けられる。(各種アート機関でのワークショップはあるものの一過性に過ぎない.教養ではない) 芸術への本質的な社会への観点を持ち合わせていながらも、美大へ進学できる者は寧ろ僅かであるし貧困や家庭環境や学力の偏りによって美術従事者になる者とそうでない者とに深い溝が生じていることを問題点として挙げたい。これは現代のアーティスト自体が「分かる人に分かればいい」という西洋美術史に醸成され西洋の問題意識を共有している時点で国内への差別の加担と同様だ。子ども(未成年者)を取り巻く社会問題や、社会の目から抜け落ち社会問題にも発展していない概ねタブーな問題を抱えた当事者から目を背けていることに過ぎない。美術が長年「美術のための美術」を目指し美術の素材集めのための(インスピレーションとしての)他分野への探求に過ぎず、現場を体感して来ていない「お嬢さま・お坊っちゃま美術」であることが原因と考える。だから「未だにそこまでの段階に達していない対象者に対してのアートの出発」が急務であることをアートとは何か、という美術への見解の当面の答えと定め、kotteをスタートし、「自らのアートの基盤のため」に続けているのである。美術とは絶対的に、本来アート従事者になるはずだった対象者や救済を求めている全ての人間へ、博愛的に開かれるべきで、そんなことは百も承知だ。芸術は本来的に「愛」だということも、一つの美術の正体であることを忘れてはならない。

また私の制作においてだが、肩書きとしてのアーティストという概念についても、私から一つ見解が産出され始めている。アーティストという概念に「制作」というほぼ絶対条件でありそうな観点を私において踏まえるべきか。それが長年の問いとなっていることは間違いない。そもそも芸術という本質的で尊厳的な「思考そのもの」が、物質的な「制作」という行動に置き換えられることが不自然であるかもしれないということだからだ。だから「私自身が芸術である(I am ART.)」という捉えかたが本来的に私にとっての芸術そのものの創出のされ方であり、形式的にそれがkotteという教育機関に置き換えられ、それを作品と呼ぶもどかしさを生んでしまうという結果になるのだ。つまり所謂一般的な作品という考え方ではなく、例えばBauhausなどの教育機関に約30%くらいだが近く感じ、決して作品という呼び方はせずに「アートとは何か」の答えであるということをkotteは表してる。だがもう一つ、私にとって芸術への根幹となる行為があることを記しておきたい。それが「絵画」についてだ。そもそもkotteへのロジカルな芸術への展開は、私自身がアーティストであるから体系化ができることである。全く体験としては論理的でも合理的でもないことを先に申し上げておくが、それは2007年に脳内で岡本太郎の声がしたことに発端する。「やれ!ぶっ壊せ!」と聞こえたのは確かだ。私の背中に彼はある時「憑依」した。なぜかそれは以前とは全てが鋭く違った「切り替え」の体験だった。岡本太郎という人物を当時よく知らなかったため、憑依が更に現実的なものであったと言える。なぜなら私は憑依されてから一度も、以前のような作品を作らなくなったからだ。それまで綺麗にしたためていた絵画やアートの形式を頭の声と共に、一気にぶっ壊した。奇人・変人として生きろ、と言われているようなものだった。それから、嘘のない芸術を心がけている。芸術は縦横無尽であり、芸術はスピーディーであった。芸術はいつも非常に早いアクションで、純粋だった。それから子育てと、アートスクールで「こんな態度で描いた方が良い」というような絵画のデモンストレーションなどに従事するうちに、「なぜ描けるのだろうか」という問いが私を占めた。言うならば、子育てと絵画のデモンストレーションでゼロベースを体験し、私は「美術の赤ちゃん」に戻った。プリミティブ回帰で、美術は美術を問うた。わたしの意識と左手の5本の指先は、無条件であり、何故だろうか、解明できないが強い意思を持って連動していることを知覚するようになった。意識自体がわたしの動機であり、意識は長らくわたしの友達でもあり、意識上に現れた形や情景は作品を通してわたし自身を驚かせる。しかしその知覚は、得体の知れないものという答えであるとは認めたくなく、科学や物理が絵画や立体など芸術においてのイメージの発生源になるのではと探究できる。だからわたしは無神論者であり、自然の中にでさえ、あらゆる神や神秘は存在しないと考える。ゲームやアニメ、何かしらの「オタク」にもなりようが無い。私は完全にゼロである。全く何者にも影響が及ぼされず、精神は精神のまま、純潔無垢を守り続けようとする姿勢が芸術の答えである。アーティストは何かの「オタク」や「〇〇が好き」などという「趣味」では決していけないと私自身は答える。「好み」というバックグラウンドはあらゆるところで絶対的に表出されてしまい、それはもはや啓発活動に等しいから芸術とは異なるのだ。政治活動と一緒である。中立性が求められる学問であるという意見から、私は美術機関を営んでいるということだ。芸術的イメージの発生がどこから生まれるのかを知るためにkotteでの受講者と対話をし、美術史、インスピレーションの他分野から検証をする。断じて作家は趣味思想の当て付けではならない。アートは政治ではない。何か誰か他の人の思想や主義、その他、啓蒙的な雰囲気に巻き込まれそうになった時、私は「ソレ」から逃れる癖があり、自己の中立性が脅やかされていくことへの恐怖を抱き、激しく拒否をしている。芸術をやりたいからこそ、社会からのあらゆる啓蒙から逃れるのだ。だから逆説的に「宗教や熱狂性」というものは、長らく美術制作へ向かう私の精神内に頻繁に存在している。無意識下、自動記述下での無秩序な脳内オブジェクトを象徴化した時に、結果的に熱狂性が生まれ、それが神秘性となり、偶像崇拝の時もあればイコン化される時もある。そのオブジェクトが象徴性を伴い、宗教性へと導かれるのは、それを古代からの美術史と捉えても良く、今に始まったことでは無いはずだ。では芸術とは宗教のことなのだろうか。そもそも意識というのは潜在的に未知の領域があることをイメージの段階で強く実感する。カエルが動くものに感知しないように、意識のレベルで通常の日常生活では潜在的に働くことはないが、創作という時間に向かう時、頭上の斜め右辺りで様々なイメージを見ることができ、通常感知しない感覚に変化が訪れる。そのイメージというのは感知しない時には止まっているハエのように気がつかないが、感知しようと試みた時には無数に存在していることに気がつく。つまり美術は茶番であると言う。たった今は横一列にギザギザが並んでいる。あくまでもどんな描き方をするにせよ、シュルレアリスムで実践された自動記述という方法を取ることが芸術の本質性なのである。これを美術学校にて参加者に体験をしてもらうと、皆一様に説明のつかない形などを何の迷いもなく紙に写し出すことがわかった。だが本当に説明がつかないのだろうか。芸術の所在は何だというのか。だが未知なる意識の中に解明の手がかりがある。異次元や夢の中の世界のように、物理学や科学も解明と可視化を望んでいる。(訂正と追記:コロナ下でも思うこと 2020.4.23)(追記:今日も浜崎あゆみ「Voyage」と共に2019.11.21)

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