Space Connects

 

押入れの夢

 

わたしが小さい頃住んでいた家、そう、いまは芸術の学校として開放しているあの家の、1階の部屋。いまはリフォームがされていて当時とは印象がガラリと変わってしまった。しかし夢で見た「あの部屋」は、まだ埃っぽい、畳敷きで、その時の夢のなかの“わたし”は今の時代に居なく、空間は「あの時代の空間」だった。

畳の部屋の角に、観音開きの押し入れがあった。いまは生徒や教室の道具などが収められている、荷物でひしめき合った内部だ。そのひしめき合った押入れの内部には、天井があり、そこから屋根裏へと通じることができる。1階なのに屋根裏があることを不思議に思いながらも、わたしは天井板を開けた。

なんとかしてよじ登り、先がまったく見えない真っ暗な通路のなかに入った。頭がぶつかりそうな狭いトンネルで、ハイハイで1メートルくらい進むとすぐに右カーブになり、また1メートルくらいハイハイで進むとトンネルは終わった。

トンネルの出口がぽっかり空いて、明るい部屋を見下ろした。そこは真っ昼間の台所で、勝手口は外に向かって開いている。春のようで、黄色いちょうちょが舞っていた。

台所へ降りて、ふと冷蔵庫を開けてみると、食品が腐っていた。賞味期限を見る限り、腐ってから何十年も経っていて、そこはわたしが生まれた昭和60年だった。台所にはダイニングテーブルがあって、さっきまでひとが居たような気配のままだった。

とりわけ宇宙全体との連携を図っている。例えば芸術は、古代遺跡、異次元、科学と共に在る。現代、宇宙はますます解明に向かっている。だが、結局宗教に行き着いてしまう。世界は何かに支配されていて、世界は何かを崇めている。私のような一芸術家はちっぽけではあるが、意識は宇宙のように広大だ。得体の知れない意識の中に芸術はひっそりと隠れているようだ。

This is trying connect with our universe. For example, Art is together with that Ancient Ruins, different dimension,Science . Headed for unraveled a universe more and more. But after all, world and we are lead to religion something. The world is dominated by something that, and the world worship about something. The artist like me  have only small force but a  consciousness is vast likely a universe. Art is hiding in consciousness so quietly.

創造物の「かたち」について​

まず芸術の所在について考えてみると、根本なる芸術というのは我々の意識の片隅か、実は現れていて、現れては意識する前に消えてしまうものなのかと推測する。だからなるべく早い段階で、意識上に現れたら、その根本なる芸術の断片という原石を素早く拾い集めなければならない。その早い段階で拾い集めた芸術の断片は、実に素晴らしい、古代から共通する芸術の認識に触れるような様々な「かたち」をしていることに気がついた。このことは一体、どういった因果関係があるのだろうか。

古代から現代にかけて、建造物、器や壺などの工芸品、あらゆる祭具や紋様、文字に至るまで、私たちが特段意識するわけでもなく賞賛された「かたち」は、皆に好かれそうな「かたち」をしているのではないか。そしてそれは私たちの意識のなか、また遺伝子のなかに、刷り込まれ組み込まれている「良い」感覚なのではないか。それら「物」の利用者、例えば今日のプロダクトデザイン消費者にとっては、特別「良い」の所在を意識しない。なぜならその意識は、表現者である・ないに関わらず、儚く、一瞬で消えているかのように見えたり、掴もうとするとまるでそんなことを意識しなかったかのようにまるっきり失くなっていたりと、そんな振る舞いを見せるからだ。

これが芸術である。

この「かたち」だけに注視して、その「芸術の姿」というものを可視化していくことに努めてみると、色彩や具象的なビジュアルというのは、ここでいう芸術の所在には不要である。そのため一色ずつの作品として、各々のカラーを設定し「かたち」を有効に見せるため、地と図それぞれの表面の光沢の有無が反転している。またイメージも、一定の原理に基づいて出すようにしている。まず絵の中心になる「大きなかたち」を意識の中から探し始める作業をする。目を瞑り、しばらくすると眉間に徐々にオススメのかたちが現れてくる。いやいや、本当にこのかたちでいいのかな、いやいや、本当にこのかたちでいいんですよ。とどこからか別の次元の者か別の次元の何かが、「これです」と薦めてくるような感覚に陥っている。半信半疑な時間を幾分か過ごし(何日か経過することもある)、ようやく「やっぱりコレだ」と確信するまで、この「大きなかたち」への確証の時間をやり過ごしてから正式(意識の中での別次元と自分との話)に決定し、描き始める。この「大きなかたち」に対しては、崇める・入り込む・寄生する・連鎖する形式で、かたちをはめ込んでいる。これには、トップが君臨し、そこへ次々と宗教的な仕組みで集まってくることが絶対的なインスピレーションにあることは間違いない。ある時は母親の優しさのようなもので包み込み、ある時は畏怖の念で巻き込まれ、ある時は別の次元へ吸い込まれる。

それが私たちの暮らす世界であり、意識という遠い宇宙の中に、あちこちに散らばってしまった意識を拾い集める作業を要される、私だけでなない、多くの芸術家たちの役割でもある。

紙コップと多次元

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