Text Works

後藤てるみ,物理的な接触-平和に向けてjpg.jpg

《Physical Contact,Toward Peace》
《物理的な接触――平和に向けて》

2020
PDF text (Japanese and English)
Exhibition SUPER NORMAL
Gallery OUT of PLACE TOKIO
PDF text

芸術理論:形而上絵画_図式JPG.jpg
58ART MANIFESTS,TERUMI GOTO.jpg

《58 ART MANIFESTS》
2022
Installation
Exhibition OPERA CIRCUS
Fujisawa City Art Space

58 ART MANIFESTS

 

1 Manifest of Dissolve 

2 Rebellion Against Readymade

3 I am Body. 

4 Practicing Meaning to What is Meaningful

5 Tools Theory in Atelier

6 Manifest of Free Mind  

7 Occurrence of Perception

8 A Not.

9 About Invisible Things

10 Not Output While Observing

11 Abstract Transformation of Art

12 It’s FAKE. 

13 Farewell to 20th Century

14 The Divided world

15 Art is Riot.

16 Enlightenment and Art

17 About The Existence of The Outside That Makes Art Dependent on Capitalism

18 First Perception of Physiological Phenomena 

19 Nested Nostalgia

2 0 To Our Utopia

2 1 21st Century Art

22 How to Re-Express in 21st Century When Branched Art Styles in 20th Century

23 High-Speed Representation Fixing Style 

24 Art Doesn’t Exist

25 Collapse of Art Styles

26 Freedom from Marcel Duchamp's Binding

27 Art Works are Not Depend on Medium

28 Borderline with Raccoon dogs and Bees

29 Drawing Activities

30 Everything. 

31 About Meaningless Things

32 Ancient Nut.Is it FAKE?

33 Paul Cézanne’s Room

34 What is an ART?

35 Memories of Anna And Her Father / Father For Several Months

36 Memories of Anna And Her Father /Seeking Utopia

37 Memories of Anna And Her Father / The Real Intention

38 Memories of Anna And Her Father /The Institute of Oceanography

39 The Art Communication by Parents ― Sequel

40 Social Conditions

41 The Dog’s Hymn

42 The Sad Story

43 Atonement

44 Art and Religion

45 My Memories of Mt. Hiei

46 Mysteries[Numen] And Art

47 Numen of The Forest

48 Close Encounters with Monsters

49 Talisman of the 21st Century

50 Manifest of Ugliness

51 Ethics and Art

52 About LOVE

53 Crying For Art

54 Art Heals Me

55 What is Life?

56 In Order to Not Dying

57 Human was Clay

58 Make Peace

58のマニフェスト

 

1 溶解宣言 

2 レディメイドへの反抗

3 私は身体である 

4 意味あることへの意味の実践

5 道具論

6 心解放宣言 

7 知覚の発生

8 A Not.

9 見えないものについて

10 見ないことについて

11 抽象的変換

12 It’s FAKE. 

13 20世紀との別れ

14 分断の領域

15 反逆と美術

16 啓蒙と美術

17 アートを資本主義に依存させている人がいることについて

18 生理現象への第一知覚 

19 入れ子状のノスタルジア

20 ユートピアに向けて

21 21世紀の美術

22 20世紀に十分に枝分かれした芸術の形式を21世紀にどう表象化させていくかについて

23 高速芸術宣言

24 美術は無い

25 形式の崩壊

26 デュシャンの束縛からの解放

27 芸術作品はメディウムに依存しない

28 タヌキとの境界線

29 Drawing Activities

30 Everything. 

31 無意味なことについて

32 古代の実 

33 セザンヌの部屋

34 芸術とはなにか

35 アンナと父・父との数ヶ月の思い出

36 アンナと父・ユートピアをもとめて

37 アンナと父・本音 

38 アンナと父・海洋学研究所

39 父母のやりとり・その後

40 社会情勢

41 犬の讃歌

42 悲しい話

43 贖罪

44 芸術と宗教

45 比叡山の思い出

46 神秘と芸術

47 森のヌウメン

48 怪物との遭遇

49 21世紀の魔除け

50 醜悪宣言

51 倫理と芸術

52 愛について

53 泣く美術

54 癒やす芸術

55 生きるとはなにか

56 死なないために

57 人は粘土だった

58 平和へ

芸術は溶ける 溶解宣言 芸術には溶ける性質がある。顔料や粘土、さらには木材や糸、文字ですら溶ける。 顔料や粘土は溶剤によって溶解し、作家のイリュージョンや造形物を表象させる。木材は一本の丸太から彫り道具によって様々なかたちに変容させたり、一本ではなく複数や無数に寄せ木をさせて大きくさせたり彫り道具によってかたちを無限に変容させることができる。また、掘らなくても無数の角材や、チップ状になった無数の木材ならば同じく無限に変容させることができる。糸は細いので、無数だとゆるやかな造形が可能で、一本を凝視までしないと糸だと確認することは難しい。一本だと脆弱なメディウムである。文字は多言語で無数に存在し、特定の言語でも単語や文字の組み合わせ、文章の組み合わせによって無限に溶かすことができる。 この「溶けるか溶けないか」の区別は、単純に「材料の用途」の有無で判断ができるが、材料でもないレディメイドのような製品でも、溶ける場合もあるし、溶けない場合もある。レディメイドに関しては「製品の数」によって溶けはじめたり「加工」によって溶け始める。単体ではレディメイドそのままで意味も持たないが、数の調整や加工の他に「タイトルの添付」でアウラが生まれるパターンもある。 芸術において溶けるとは、アウラの生成である。本来イリュージョンや造形を生成するための絵の具や粘土は絵画や彫刻を生み、文字は文学を生んだ。レディメイドもデュシャン以降創造の一端を担い、一躍芸術の材料に名乗り出た。 しかし、ここで宣言する。 【レディメイドを使わない】 多様な芸術の材料があるのは承知だが、レディメイドを使わない。 それは、20世紀の美術の材料を無視するからだ。 それは、20世紀の美術の形式を意識しないからだ。 それは、20世紀の美術ではなく、原始からの宗教美術を本質としているからだ。 いま物理的に目に見えるものではなく、物理的には目に見えないもの――哲学や精神、知覚などの生理現象、自然科学が、作家の本質的なアウラを担っているからだ。 ゆえに、ここで【溶解宣言】をする。 2022.3.8 後藤てるみ

レディメイドへの反抗声明 【1.溶解宣言】でも示した通り、レディメイドの使用に反抗し、レディメイドの仕様を禁じてみると、身体の内部から「何か」を沸き起こさせなければならない。物理的に目にする風景でも無ければ、もちろんレディメイドでもなく、身体から「何か」を成形させなければならない。むしろレディメイドに匹敵する「新たなイメージ」を生成させなければならない。20世紀以降のレディメイドを使用する形式は【1.溶解宣言】で捨てたので、レディメイドに勝る「新たなイメージ」を自らの身体から生成することは、もはや形式や表面では20世紀美術の基準では新しいとは言えない。見た目では、単なる絵画や彫刻にしか見えず、残酷なほど古めかしい。しかしここでの「新しさ」とは、無の状態から有形を生むことであり、「新しさの更新」ではない。無論「新しさの更新」が肝心ではないわけではないが、二義的な問題である。それは作品で資本を得るくらい二義的な問題である。(しかしこの二義的な問題が第一義にすり替わる瞬間が訪れる。それは20世紀美術への熱狂的な愛好だ。) 身体から何らかの作品を生成するには、まず脳と手、腸の問題から作品への行動が促される。脳では「思考」する。手では「動作」する。腸では「生理現象」が脳や手の働きへ加わる。思考は哲学であり、心像は知覚であり、思想の反映による言語は政治や宗教であり、動作は記憶や習慣であり、生理現象は知覚であり精神である。脳、手、腸を媒介として、レディメイドへ反抗する者の作風は、より一層「行動的」になる。その行動とは、自分自身のBODYを媒介としたアクション的な振る舞いで、作家の個体ごとに異なる「新たな性質」である。ちょうど万人の声色が異なるように。 ここに【レディメイドへの反抗】を宣言する。 2022.3.8 後藤てるみ

インスパイアの材料 森羅万象 ライオンマンや土偶のような古代人形彫刻は、死産した子どもの亡骸を復活させようと、可視化して手元に置くためのものだったかもしれない。形骸化してしまう無力なものに対し、いわば復活・再生を試み、記録保存する唯一の方法だったのだろうか。宗教美術もその一例で、亡きキリスト、言わば未来へと尊重すべき過去の亡骸を現代へ復活させる。この復活こそが、目に見えない畏怖の念すらを吹き飛す効力を持った手段である。宗教とは、死産しただけの我が子とは異なり、それを後世へ伝えるだけの価値のあるイデオロギーとなる。ライオンマンや土偶はとても人間には見えないが、それは子どもの死やあらゆる死者という概念を通して、生への神秘、永劫を叶うための後世へも普遍的な祭具であったのかもしれない。芸術作品によって復活した死者、先祖の魂は、時代を超えて普遍的に森羅万象を灯す道具となる。

1 そもそも芸術とは何だろうか。人はなぜ人で、人はどんな時に泣き、哀しみ、歓び、怒るのだろうか。なぜ人は生まれたか。人が人たらしめるものとは何だろうか。ある人は、人は遊ぶものだと言う。またある人は、人は芸術をやるものだと言う。わたしはもちろん芸術をやるものだと思うし、遊ぶものだとも思う。両者を隔てるものは何も無いと思うし、この文化的な営みこそ人を最高のものにしていると思う。 このことを常に忘れずに、前提として、人は考える動物でもありながら芸術はある直感的な役割を果たしていると思う。壮大なヒトの起源まで芸術を遡っていくと、人が芸術をやる理由である「人たらしめるものとは芸術である」イメージが如何に直感的かが分かると思う。人は心で歌い、心で描き、心で会話をする。では心とは何か。芸術においての心とは何か。 第一義の芸術の心は、古代にまで遡ることができるように。初めて芸術に触れた時の感覚のように。すべての人の心に鮮烈に刻まれている。だれもがそれを否定せず、鮮烈なイメージを与えるもの。それが芸術。 人類は小型彫刻や洞窟壁画によって芸術のエッセンスを与えられたし、はじめて絵画や粘土に触れた時、その滑らかに溶解したテクスチャーを踊るような気持ちで感じ得た。芸術に触れた歓びを初めて感じた瞬間は、古代も現代も変わらず「わたしの手によって変容した何か」である。つまり芸術は変容―(超)自然をこの手によって自ら変容させた歓びである。これが第一義の芸術であった。 2 芸術の諸問題をあれこれ探るうち、一義の芸術ではなく社会全体としての芸術の機能を探るようになる。これが二義的な芸術のはじまりである。デザインのような社会の機能への探求は本質ではなく「超・個」からすると二義的な問題である。一義の芸術は、個体ごとの心から生じ、分裂するように拡散した。個人発生での視点からすると、社会での芸術の機能は二義的に見える。「超・個」であるスーパープライベートな芸術の発生源から考えた社会機能的芸術/美術は、当の個人からすると本質とは程遠い、二義的な要素になり得るだろう。 もしもここで視点を入れ替えるとどうなるだろう。視点をプリミティブな「超・個」から「超・社会」に入れ替えてこの芸術の諸問題をひっくり返してみる。「超・社会」であるスーパーパブリックでは、芸術や芸術家は稀有で重宝されてきた。その作家や作品そのものも重宝されてきたと同時に、これら芸術のエッセンスが何の目的に昇華されてきたか。それが宗教である。社会においてのプロパガンダの性質は芸術の諸エッセンスであり、芸術はどことなく自由に、しかしどことなく引っ張られながら社会の思うように使われてきた。「芸術」自身も、作家自身、ひいては人間の欲望自身も、そのプロパガンダに自ら望んで乗り込んでいる。個人も望んで社会においての芸術を全うする。これが「超・社会」での第一義的芸術である。この芸術はたいへんに美しく道徳的な芸術である。芸術は大衆の宗教と化し、政治の架け橋と化す。その術は、市民と反復し、驚異的に拡散させ、資本を得る。永らく私達の世界では、こうして芸術が芸術たらしめる所在を掴んできた。古代も現代も変わらず。 3 すべての芸術作品は大衆のプロパガンダである。子どもの作品も、受刑者の作品も「芸術作品」「芸術」「アート」も、社会の望まれた属性に嵌め込まれて公共化され、社会全体の思想が滲み出している。芸術作品の社会への働きかけはひとつの政治であり、個ではないこの広い社会では今も昔も同じ役割を果たしている。様々なレトリックの駆使と、哲学や科学を携えて政治は芸術と共に発展してきた。発展のないものを文化とは呼べない。文化発展は人類の歴史であり、わたしがここに居る所以でもある。だから芸術は発展をこの上なく喜び、迎え入れる。 ここでわたしは展覧会の形式を用いて何をしようか考える。展覧会ではまた別なコンテクストが働く。先程の座標とは異なるが、二義的な芸術面には接触する。しかし作家には人に見せる楽しみがある。プリテンドし、現実とは非なる創作された世界は、作家にとってのユーモアであり、作家にとってのスーパープライベートな愉しみである。

アンナは深い溜め息をついた。自分がこのまま無くなっていく感覚を抱えながら、ひとり煙草を吸っていた。肺の奥へと煙がゆっくりと、喉から下った。ヒリヒリと、焼け付くような喉の痛みと、20年ぶりに吸ったことを咎める者は誰も居なかった。 たった一人で、エアーズロックの頂に腰掛けていた。 (わたし以外、誰も居ないの。そう、ここだけではなくって、他のどこにも、わたし以外は誰も居ない。パパも居ないわ) 今日のこと わたしはある研究室で産まれた。デザイナーベイビーとしてだった。父はオーストラリア感染症対策センタの局長だった。わたしのすぐ傍で、父はいつも仕事をしていた。その時、わたしは19歳の姿をしていた。 研究室はいつも温暖に保たれており、大学構内の中庭に向かう研究室の大きな窓の下には、いくつもの植物が植えられていた。トマト、ネペンテス、セイヨウマメ、ヘビイチゴの仲間、ユーカリ、トネリコ、菊の仲間などが再生された丈夫なプラスチックバッグに、たっぷりと有機肥料が含まれた土壌で大きく成長していた。中庭に面した窓は一日中陽がよく当たり、植物は葉焼けを起こしながらも丈夫に育った。樹木もたっぷりと日を浴びて、徒長枝を出しながら、よく育った。 この研究室の植物のために、一日に三度の水やりを任されているボリビア出身のマーズラという女性がいた。彼女は、植物の数の割に小さい近代的なジョウロに使い勝手の悪さを感じながらも、この時間が好きだった。というのも、彼女はこの大学の嘱託職員で、週に二回だけ自然科学の講義を受け持ちながら、その他にも、自分の考えた任意の業務に就くことができる勤務制度を利用できたからだ。この制度は国が定めた非常に簡単な申請の有給制度だった。週に二回の通常業務を行いながら、あと一日だけ、この都市のために、本人が自主的に企画した業務を務める。企画の審査基準は低く、週に一日以上少なくとも二年間は継続の「何か」を設けることだった。有益と判断されれば少額だが給与が入る仕組みだった。二年間の労働を経て、また違う道に進むのも自由だった。 マーズラは幼少期から非常に植物が好きで、よく野に出ては目がチカチカするまで帰ってこなかった。だから研究所の植物に囲まれて、由に動き回ることができるこの仕事がとても心地良かった。 大学と言っても、この街には大学との境目が無かった。一体、どこからどこまでが大学で、どこからどこまでが住宅地で、どこに商業地があって、どこにオフィスがあって――それが本当に分からない街づくりだった。それは、住宅地という概念や商業地という概念ではなく、大学の概念こそあるが「その他」の概念は無いに等しい街づくりだったからだ。というのも、大学のある部分部分に住宅「的」な住まいが点在しているので、一見するとどこが住宅スペースなのかは判断できない。住宅スペースも連続していないので、校舎内でも部屋が飛び地になっている。 その住まいは「街の人」も区別せず入居することが普通なので、大学の外部や内部という概念を与えることができない。地下鉄の構内にバーやディスカウントショップや病院が「入り込む」ことと同じだ。大学内に最新のコーヒーショップがいくつか点在し、コンビニエンスストアと同居しているよく考えられたデザインの文具ショップが丁度良い感覚で配置される。「併設」とは異なり、よく手入れされたイギリス式の庭のように、草木が互いの根と根の隙間に自然と入り込むような状態と似ている。大学システムは、住まいと社会が認識すらされない状況で一体となっている。気持ちが良く緑が豊かに配置された、街なのか大学なのかは分からない。マーズラはそこに住んでいた。 (プライベートと、パブリックって、どう違うのだろう)  マーズラはたったの一度だけ、防波堤で暑い北の海を眺めながら「思った」ことはあったが、その時以外、そう「思う」ことはただの一度だってなかった。 マーズラの部屋は、三号棟の三階の右から三番目にあった。左からも三番目だった。 右隣はマーズラが勤めている研究室の向かいの棟の研究室の、たまにしか出入りしない仮眠室のような、物置のような、たまに遊びに来た知人を迎え入れるような場所だった。表札には、「〇〇研究室B」とあった。左隣は空きスペースだった。左の左、一号室は雑貨店兼ギャラリーだった。 右の右は、よくわからない。たまに女性が出入りしていて、ある雨の夜にはタイトな黒のミニ・スカート姿で傘の水をよく切ってから入室し、また別な日はクロード・モネの「散歩、日傘をさす女」のようだったと記憶していた。 彼女の住む三号棟は五階建てのプレハブのような白色の建物で、そんなに大きくない大学の校舎の一部だった。マーズラは47㎡の1LDKの間取りの部屋に住んでいた。全ての部屋はきれいにリノベーションかリフォームがされていて、室内は床の木板以外は白色で統一されていた。キッチンは清潔なステンレス製で使い勝手がよく、部屋によってはアイランドのようなオープン型か、壁付型かで分かれていた。入居前から改装工事は済んでいるが、大学の専門的な学部によっては大掛かりに改装を行うこともあったし、店舗も同様だった。全ての部屋はだいたい47㎡で仕切られていて、この商業も住まいも大学も一体となった建物のある一室に彼女は「ひとりで住んでいた」。     さて、住まいや今後の人生を考える上で「ひとり」の概念は一体どうやって育まれるのだろうか。 マーズラは適度に社会的な距離が保たれ、適度にひっそりとした暮らしをしながら、適度に毎日たのしかった。特段不安に駆られることもなく、特段楽しすぎることもなく、日々、息を吸うように出勤し、講義のための資料を家でつくり、植物の世話を講義のある日も含めて週に三度行う。そんな生活を愛おしいと感じることもなければ、煩わしいと感じることもなかった。 しかしマーズラは考えていた。 (一体どうしたらわたしはひとりになれるんだろう) こんなことはおかしいかもしれない。彼女には家族は居ないが、国策として設けた “すべての人間にとって有効な暮らし方の提案” は、非常に理にかなっている。なぜならこの大学を基準にした都市計画という名の人生設計、それは自然と都市を曖昧にし、プライベートとパブリックを曖昧にし、家族の原理をも変えてしまったからだ。 家族とは何か?遺伝関係に依存せず、日常的に、地理的にも近くに位置し、あなたの自己実現のために取り巻く環境に存在する人々こそ、栄光なるもの。 だけどそれは違うんじゃないか。マーズラはそう考えるようになっていた。 (いいや、正確には違うわけではない。わたしが、わたしにとって、大切な、専門分野である自然科学と、受講生、教授、研究室、草木、陽の光。そこには不十分なものなんて無い。非常に満ちている。しかしなぜ?心がそわそわしてしまって、大事な何かを置いてきたみたい。いま、わたしはパートナーも居ないけれども、単純なパートナーということでもなく、わたしがいつも求めていることこそが家族の概念だわ。 家族とは、おそらくわたしが育ったボリビアのこと。つまり―― [家族とは、故郷のこと] アンナはエアーズロックの頂で、まだ泣きじゃくっていた。 「わたしには、家族がいないの」 「わたしには、土が無い」 「わたしには、愛する川も無い」 「わたしには、パパは居るけどわたしだけに故郷が無い」 「とっても淋しい」 「わたしにはまるでわたし自身が実存していないみたいだわ。だって物理的な触覚が無いんだもの」 アンナは生まれて初めて手を切った。頂から血が流れると、アボリジニーから洗礼を受けたような気分だった。染み付いた岩肌に風が吹き付け、すぐに血を乾かしてしまった。アンナはゴロゴロと身体を岩肌に何度も擦りつけた。 上空いっぱいにオーストラリアの光を浴び、埃っぽい手は、まるでオーストラリアの大地を自分のものにしたような気分だった。 爪の間に乾いた血と、土が、挟まった。 アンナは寝っ転がり、両手を太陽に向かってかざした。赤黒い手。汚い手。両手の爪が大地のような赤茶色に染まったとき、アンナはふっと笑顔になってこう呟いた。 「ひとりじゃない」 南十字星が天頂に昇るころ、アンナの父は、娘の帰りを待ってシチューを作って待っていた。 マーズラも、ボリビアの母を案じた。 都市は瞬く間に住居と社会を曖昧にし、街の区分も学校の区分もシームレスになった。 あるコーヒーショップで、今日は小学三年生の男の子が、子ども食堂として従業員と一緒に食事をしていた。それはあらゆる属性を取り払って生まれた新しい世界で、実際は子ども食堂としてではなく、彼らは彼らのバックグラウンドを聞かなかったし、お互いの属性を気にする者はたったの一人だって居なかった。 マディディ国立公園には、ある一本のコーヒーの木に五才のマーズラがピンク色のリボンを結んでおいていた。 もうリボンは原型をとどめていないくらいボロボロの布切れだったが、30年前、この少女は、その木の根元に、そっと大事な物を埋めておいた。 「わたしはこれからどこへ行くかわからないけれど。東京かもしれないし北京かもしれない。だけどわたしの命も、魂も、いつだってここにある。いつまでもここに居てね」 少女のマーズラは、ぬかるんだ地面にそっとキスをした。 Text by Terumi GOTO , 2022 

はやく髪を切りたかった。なるべくはやく髪を切りたかった。なんでいっそのことはやく切らなかったのだろう、と後悔をしていたところだった。闇につつまれ、静寂をあとにしたわたしは濡れ衣を着せられたことをとやかく言う必要はなかった。要は勘当したことをそのまま脇に反れて挟み込むしかこの世はないんだと錯覚したからだった。 「お父さん」 とアンナは言った。 と、途端に言わなければよかったと後悔した。 「なに」 父はいつものように研究所で頬杖をつき、寝そべって何か物思いに耽っているようすだった。 わたしはわけもわからず言った。 「あのね。つぎ、宇宙人が来るの。」 ハッとしたようすだった。父は……父は顔を背けながら言った。 「やめてくれ、その話はもう飽きたんだ」 「えっ……」 わたしは傷ついた様子で父のことを見た。 それは明くる日の晩だった。 夜露がピシャリとわたしの頬を伝うと、わたしはカラスになっていた。 (カラスはいいなあ) 夢に見たカラスは黒黒とした羽根を頬に伝わせながらわたしをビンタした。 「やめて!」 「痛い……!」 カラスは止めなかった。 わたしは窓ガラスに暴力的に投げかけながら こう言った。 「我、やめるでない。従え。」 「……えっ。」 脅迫的なその物言いは、あいつにソックリだよ。そんなことはやめてしまえばいい。もう大っ嫌いだ。そういう物言いは、嫌われるしクソくらえだ。 「有言実行……」 わたしはいつになくこの言葉を好きになっていて、嫌われてもいい、わたしはわたしでい いんだ、というときによくこの言葉を使うようにしている。 次の日の朝 わたしはプールに向かっていた。よく晴れた午前の空、決まってわたしはびっこを引いて、苦し紛れにプールへ行ったものだ。 小休憩。 夏は暑い。 途中ガリガリ君を買った。汗がだらだらと垂れてくる。歯をみがいておけばよかった、と後悔した。ゴキブリみたいに変色した、その カマキリみたいな目は、睨んでは引き、睨んでは引き、とわたしを大きく揺さぶった。 その時だった。 「死ね……………………………!!!」 と大きな蟠り声が聞こえた。 咄嗟にダンゴムシのように身を隠した。 ビクビクビク…………。 わたしは怯えた。 (苦しいよう。苦しいよう。) チラッ。 (やだよう、やだよう。) 困ったようにわたしは泣きじゃくり、ふいに意識が途切れた。 有給明けの日曜日 「ごめんなさい」 由紀子は床に玄関のカギを投げつけ、剛に威張ってこう見せた。 「そういうヤツは、大っ嫌いなの」 「どういうこと?」 目をまん丸くした、ツヨシってやつは途端に威張ってみせた。 「あんたみたいなヤツが、この世に生きてい る限り、この世はブラックホールのままなの」 「バカなヤツ。死ねばいいんじゃない?」 ツヨシは固まったまま動けなくなっていた。由紀子はその姿を見て、クスクスクス、心の中で笑った。 (ウケる。カブトムシみたい。) 剛(ツヨシ)は依然として動かなくて、しっかりと固まったままだった。ソルベというデザートのようで、侮辱した由紀子は高らかに笑ったまま、動けなくなっていた。 夜が明けふたりは拳を握りしめたまま、苦し紛れにこう言うのだった。 「二人は………別れて………」 最後の日曜日 ギブソンとハリーは、公園でおにぎりという日本風のワンハンドフードを親しむところだった。ブルックリンの公園は、とても穏やかで、今日みたいな日は子供連れから大人のカイコガみたいなゴキブリが、地に足を這うようなかたちで過ごすような日だった。 夢にまで見たあの昼下がりは、もうここには無い。いつまでも甘ちゃんでいるなよ。そうハリーは僕に言うような気がしていて、僕はとてもとても気が気じゃなくって、 「ちょっと一人で行ってくる」 と散歩を楽しんだ。 後ろで、ハリーはめちゃくちゃ睨んでいた。 (ぎくり……) 有名な橋というのは本当に厳かなもので、ぼ くはいつの日からか橋の虜になっていた。ぜったいに一度は行ってみたいのは、ネーデルラントの中心地にある、あの赤い蛇の橋。夕方おねしょをしてしまってちびりまくっていたヤツみたいだ。へっ。気持ち悪い。 正直なところ、ギブソンは性格が悪いので、あのまま橋から落っこちちゃえばいいと思っていた。おにぎり片手に、きっと苦し紛れにこう言うんだ。 「あのクソ野郎。」 「ハリー。きみにはもう愛想が尽きたよ。誰にも言わないでおこうかと思ったけど、僕には好きな人がいるんだ。とても素敵な人なんだよ。アンダルソンっていうの。え?どっちかって?そんなの…………女性に…………決まっているじゃないか。ヤだなあ……きみ、分からなかったのかい……ぼく、ソッチだと 思ってた?本当に……」 泣き真似も上手く、なんどもなんども練習したそのセリフは、大晦日の夜にとっておこうかと思ったけど、橋のたもとへ行くふりをして、僕は急いでソイツの元へ戻ってヘドが出るまで吐ききってしまおうと思った。 「……ヘイ!」 キラキラとした汗を垂らしながら、橋から戻ってきた風のギブソンは長い髪を垂らしながらハリーに向かっていった。 「ねえ、君のいつも身につけているピアス。」 ハリーはびっくりして固まっていた。とんがって固まってしまっていた目をまん丸くして、こちらを丁寧に見た。 ギブソンは少し躊躇したが、こう続けた。 「君ってさあ、足も臭い。」 鼻の頭を指で軽く引っ掻きながらこう呟いた。 「息も臭い。」 頭は爆発しそうだった。 だってあの夜から毎晩ずっと練習していたのに……言葉が出てこないんだもの。キマって僕の悪い癖。 こう言った。 「だから。もう別れよう」 ハリーは本当に動けなくなっていて、いままでギブソンとしたいろんなことを思い出していた。一緒に行った場所や、あの日の思い出や、共に過ごした日常ひとつひとつを思い出していて、顔を上げられなくなっていた。本当に固まってしまった。ギブソンが帰ったかも、分からない。しかし、いまはこの顔を真っ直ぐに持ち上げるのに必死だった。 夕方になってしまった。 アンナは実際には居ない宇宙人のことを考えることはできなかった。お父さんはその話を避けるし、わたしにはわけが分からずもうこんな話は懲り懲りだと思った。人々はどうしてしまったのだろうか。あんなにキラキラキラキラしていた日常が嘘みたい。わたしは夕日に溶けちゃうんだわ。パパと一緒に。 本望だわ。パパと、ずっと一緒になれるなら……もう……なんにも要らない」 明くる日の朝、アンナはすっかり冷たくなっていて、父はそれを見つけると毛布で包んだ。そして、そっと、海岸の防砂壁に行って、抱きかかえた娘と話をした。 「むかしむかし。こんな場所があったよ」 「虫しか居なくて、ひどい虫も、きれいな虫も、みんな一緒さ」 「人々は虫の綺麗さや、醜さや、汚さなどを介して世界を見なかったんだよ」 アンナは少し呼吸をして、穏やかな、少し穏やかな呼吸に変わっていった。 「人々は、それが醜いとか、きれいだとかを昔に本当は知っていたのだけど、敢えてそれを言わなかったのさ」 「だって、それを言ってしまったら、きりが無いだろう?ぼくだって、そういう目で人を見てしまうかもしれない」 「人は、いつだって自然さ。時には穏やかに、時には荒々しく。そういう自然を、虫も持っていて。カンガルーも。だからいちいちそれを咎めることはしなくなったのさ。二一世紀、それは新しい時代の創造のはじまりさ。醜いなんてことは無い。」 アンナは赤い蛇の橋を歩いていた。くねくね、くねくねと蛇は蛇行しながら、海を泳ぐと、 「ずっとアンナと一緒に居たい」 こう言った。 (いいよ。わたしで良かったら) こう思った。 ずんずん進むと、わたしは蛇の言った先に、溶けるように進み、泡のように消えてしまった。どこかに、わたしが居た形跡はあるのだろうか。人は、しゃべったり、物を食べたり、食べ散らかしたり、誰かとどこかに行ったりすることが、それほど切実なものか。はあい。確かに、わたしはここに居ますよ。存在してますよ。砂浜の足元を見てごらん。パパが置き忘れた財布がある。一枚目のカードの裏に、記してあるのはわたしの誕生日だ。パパはいつでもそれを消すことができる。          (2022.3.1 嵐のレジデンスルームにて)

社会情勢 あれはうそだ。あれはまぼろしだったんだ。 矢継ぎ早にあなたは言うが、あんたにCOVID-19のこと、なにがわかるっていうの!嘘も大概にしなさい!!勝手にアブダクションされちゃって、勝手にインスパイアされちゃって!あんたにインストールしたの誰だと思ってるのよ!もういい加減にして!!!!!!!!!!!! 米粉と油は非常に相性が悪い。さんざん小学校で習ったはずだ。嘘も大概にしてくれないか?わたしは分裂病なんだ。そう、いまじゃ『分裂病』だなんて言わない。でもおかしいと思わないか?だって、『統合失調症』と『分裂病』じゃ、ぜんぜんイメージが違うじゃないか。僕は『分裂病』に、非常なロマンを感じていたんだ。ねえ?君もそうでしょ?だって、さんざん笑ってたじゃないか。ぼくは君に笑われたことが、疎ましくって疎ましくって、嫌で嫌でしょうがなかったんだけど、でもこれもいい思い出だと思っている。だってこんなにも素敵な君に出会えたんだから―。 あれから数日が経つと、ケンといばおは不仲になっていた。 「もうきみに会うことはないよ」 「夢でも会いたくない」 「もう死んでくれ」 「いっそのこと、死んでくれ!!!」 彩は見ていた。 (わたし、見ていて大丈夫だったかしら) 彩が見ていたことを隠すと、すぐに逃げ切れると思ったのか、ケンがすごい剣幕でこっちを見張っていた。 (やだ!あのひとコッチ見てる……) (キモいな……) 彩はすぐにストーカーされた日のことを思い出した。あの日は最悪だった。ひどい雨で、夢中になって走った。途中、カバンから、走った時の衝撃で、お昼に買って食べないままにしてたベーグルパンが、雨の路地に落ちた。そんなことも気にならなかった。ケンが見張っているのとおんなじように、彩はその日のストーキングされた出来事をひしひしと思い出していた。 (あれは正月、そう元旦まえだったわ。すごく寒い日だった。そう、大晦日の前の日、30日だわ。あのひとのこと、大っきらいだった。だって、気持ち悪いもの。いつもニタニタ笑って、すっごく臭くって、ちょっと変わった服ばっか着てた。なんであんな人と……) (ア……) 彩はその拍子に思い出した。走ってて、濡れて、落としたベーグルを拾うと、そのひんやりと冷たい感じ、ビチャッと、手に冷たい雨水が触れる感じ……。そこで彩は気がついた。 「ねえ、あなただったのね?」 彩はケンといばおの仲裁に入るつもりはなかった。だけどいばおの顔を見て、ハッとしたのだ。 「あなた……!あの時の!!!」 いばおはすぐに目を背けた。まるでもうすぐ食われると分かっているのに、気がついてないフリをしてそっぽを向く、ライオンのようだった。昔サバンナでUFOにアブダクションをされるときに見た、あの目と一緒だったのだ。 「夢じゃ、ない?」 いばおはあんまりにも女性に対して免疫もへったくれもないので、どうこう言おうか分からず仕舞いで、続けて言うのがやっとだった。彩ちゃんには、貸しがある。あの時の。 アパートの一室で、いばおと彩ちゃんは逢瀬を楽しんでいた。 (まるで二三才だな…) 彩ちゃんはちょっと顔を真っ赤にした。そう、いばおのことが好きだったのだ。こんなに好きなのに…… という気持ちとは違う。そう、なんていうかな、、友達に近い。そう、前から会っていたようなかんじ。でもなんだっけな、このかんじ。このかんじどっかで、楽しんだような気がするんだけど……と思いながら彩ちゃんは思い出せずにいたし、そんなことは気のせいだと思っていた。ただただ、いばおが好き。その気持ちを確かめるために、アレコレ思いを巡らせるんだが、一向にハマる考えに至らない。そう、彩ちゃんは恋をしているのだ。その恋とは、無償の恋で、何のへったくれもない、ただの一般的な恋だった。そのことに気が付かない彩ちゃんは、いつまでもいつまでもいばおとの関係性について、何か特別な思いを馳せようとしている。本当はそんなこと、なにひとつだって無いのに……。  ドキ……! いばおくん……! いばおがついに彩にキスをした。そう、彩といばおはプラトニックだったのだ。彩は頭で恋をし、いばおは頭で恋をしていた。そのいばおが、ついに彩にキスをした……。 あなたは知っているだろうか?ヒトは頭で恋をすることができるのだ。いばおと彩とは、まぎれもなく脳と脳とのイメトレだった。アダムとイブが居ただろう。あれは時にいろんなモノが禁じ手となって、非常に示唆深いお話だったと思うが、それと同じなのだ。COVID-19がはじまったときに、わたしたちは脳と脳を繋ぐお手伝いをした。そう、わたしは宇宙から来た。昨今は映像の世紀だと言う。映像技術は飛躍的に進歩し、オカルティズムを喧伝し、人々は(映像制作の会社だ)その突拍子もない、奇妙でブッ飛んだ映像を作成にして脳の中に埋め込んだ。ひとびとはあるVAPOR WAVEという音楽のジャンルに傾倒し、そのなぎ倒された脳内のカラフルなイメージを、様々な商材に利用した。ひとびとは酩酊し、もっぱらピンクか紫色のファンタジックな装いにフルチェンジした脳内を楽しんでいた。そう、とっくにわたしたちの脳はハッキングされていた……。とここまではSF小説のようだが、問題はそこにはなかった。つまり、 『ストーキングの問題』 問題はなぜ、ヒトはストーキングをするのか、だ。 彩ちゃんはあの日からヒドく悩んでいた。いばおからのメールが耐えない。どんなに忙しい、と打信をし続けても、いばおはロクにそれを相手にしてくれない。頭のなかは彩ちゃんとのあの日のことでいっぱいであり、寝ても覚めてもいばおはあの日の彩ちゃんとの出来事を何度も何度も何度も何度も何度も何度も思い出し、どうしてあれ以上進めなかったか、と何度も自分のことを殴っていた。何度罵倒しても現実は彩ちゃんとの禁断のキスであり、彩ちゃんも、いばおも、それ以上は進めなかった。されど問題はそこにはなかった。彩ちゃんは、いばおのことが好きではなかったからだ。そのことに、いばおはどうしても気が付けない。きっと彩ちゃんは僕のことが昔から好きだったはずだ、とか、本当はあの時もう少しそれ以上先に進みたかったはずだ、とかおんなじことをなんどもなんども思い返していて頭がバカになりそうだった。そしてついにその日が来た。 「あやちゃん!!!!!!!」 「!!!!!!!?」 いばおは会社帰りの彩ちゃんの背後から近づき、無理やり抱きしめようとした。呼吸はゼイゼイゼイゼイと気持ち悪かった。だけど咄嗟のところで彩ちゃんは身を交わした。 (このひと……) 彩ちゃんはあの日からヒトの状況も知らないで毎日毎日しつこく会いたいとせがむいばおのことはもう嫌いになっていた。こんな人死んじゃえば良いのに。だけどあのひと不老不死のサプリいつも飲んでるわ。わたしのこと好きなくせにキスまでしかしなかったくせに。まるでろくに理解ができない。わたしのことが好きなら、なぜ始めからアプローチをしないのかしら。以前付き合ってた彼は、すぐにアプローチをしてきたから、あんまり好きじゃなかったけど、そのアプローチのおかげで直ぐに好きになれたわ。人って、そんな簡単な生き物なの。本当は、私から好きになったのよ、いばおのことは。 一発の銃声で、いばおは倒れた。 彩は逃げた! 鳥が、夜空に羽ばたいた。 (社会情勢 二0二二年三月八日 茨男と彩の物語)

犬の讃歌 1 あるところに汚い犬が居た。 この犬は日頃から口のまわりをベロベロベロベロ舐め回すので、周囲に悪臭を放っていた。 むせ返るような臭いが立ち込め、口の周りは汚れなんだか模様なんだか分からない、赤いシミが点々と付いていた。 この犬は犬用ジャーキーを食べるのが趣味で、主人からジャーキーをもらうと、それはもう、すごい勢いで食べた。 床に落ちたジャーキーの破片を拾うと、涎でねっちゃりだった。 主人はまたがっかりした。 「こんな犬、もう飼わなければ良かった」 2 この犬にはもう一つの趣味がある。 それは泳ぐことだった。 家の前にあるプールで水浴びをすると、臭いはいくらかマシになったが、その代わりにプールは、いつも薄汚れたベージュ色になっていた。 プカプカとジャーキーの破片を網ですくいながら、主人はまた救いようの無いことを考えた。 (この犬をいっそのこと捨ててしまおう)と。 主人はDojo Cutsの《Rome》を有線で100回連続で聴くと、さすがに飽きてきて他の曲に変えた。 犬はあいも変わらず涎を下に向け、息を荒げてジャーキーをおねだりしていた。 3 「ぴしん!」 と主人は犬を打った。 「キャン!」 と犬は激しくのたうち回り、命乞いをした。 主人はそんなに激しく犬を打っていなかったし、犬だってそんなに激しく打たれてはいない。 しかし主人は心を病んだ。 犬はそんなこと分かっていた。わたしが主人から嫌われていること。 それにわたしもわたしが居なくなれば良いと思っていた。 山に捨てられた犬は、必死で坂道を駆けていった。 主人は家に戻ると、まず掃除から始めた。 プールの水を全て抜き、一から掃除をした。 4 排水溝にジャーキーの破片が詰まっていて、ヘドロとなった底の方で、悪臭が鼻に付いた。 「うっ……」 いつもの臭いとは違い、半分くらいはアンモニア臭がした。 排水溝に水を流さなければ気が付かなかったが、犬は2つ目の趣味の最中、失禁をしていた。 突然に涙が襲ってきた。 悲しさだった。 犬は坂道を半分くらい駆け下りてきたところで、口をぱくぱくしはじめた。 マスクをはめて、今度は部屋の掃除に取り掛かった。 しばらく犬生活が続いて、居なくなったときに初めて気がつくことがあった。 5 そのころ街の住人にはこんな噂が立っていた。 “歌を歌う犬が居る” 主人はカーペットをすべて剥がし、犬の毛がたくさん付いた敷物をハサミでちょきちょき切りながらゴミ袋に捨てた。 床を掃いて雑巾で水拭きしながら、剥がれた犬の爪や、体液のこびり付いた跡もきれいにしながら、ちょうどいつもの夕方の二回目のご飯の時間に差し掛かった。 主人は顔を上げた。 犬はこんな歌を歌っていた。 6 “ ああ なんて いい 天気なんだ ” “ こんな いい 天気の 日には ” “ 主人とドッグランに行って たくさん おやつをもらって ” “ それはもう いつも もらえない おやつをもらって ” “ たくさん 食べるのさ あの子よりかは 多い よ ” “ ぼくは 主人のもとに生まれて はじめから ここの住人さ ” “ 主人は ぼくを ぶつけど ぼくは主人を噛まないよ ” “ だって 痛いから ” “ 痛いから ” “ 痛いから ” “ 痛いから ” “ 痛い から ” 7 主人はホームセンターに居た。もどってくるかはわからないけど、 ピンク色の絨毯を用意して、たくさんごはんを盛って、それを犬が食べ終わったら、いつものジャーキーをあげて、そのあとたくさんたくさんいい子、いい子、をして、夜のプールで泳がせてあげるんだ。 帰ってくるかはわからないけど……。 主人は泣いた。ぼくは感情に身を任せてなんてひどいことをしてしまったんだろう、と。 あの犬には特別な才能があった。 それはぼくの気持ちがわかることさ。 こうやって泣いていると、いつもそばに来てくれた。 こうやって泣いていると。 シャララン。 庭の門に、一匹の犬が立っていた。 確かにぼくの犬だった。 8 犬は、とっても平気な顔をして、ぼくのことを真っ直ぐに見てる。 ぼくはちっとも平気じゃない。 ぼくはちっとも平気じゃない。 びちょびちょになったほっぺたを、犬は朝まで舐め回した。 “ かわいいな かわいいな ” “ 主人はとっても かわいいな ” “ 主人は変わらず ぼくのもの ぼくのもの ” “ ぼくのもの ” “ ぼくのもの ”