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Practice and
​Aesthetics

​美術学校

​kotte

ART INSTITUTE KOTTE
Started in 2013


●カリキュラム・アート教養課程(PDF)

お問い合わせ kotte.art.design@gmail.com
毎週(水)(木)(土)10:00-12:30,13:00-15:30
​第1&3(日)10:00-12:30
253-0012 神奈川県茅ヶ崎市小和田1-2-33
●JR辻堂駅【西改札(下り先頭車両/上り最後尾車両乗車)】⇒南側出口より18分
(西改札南口・ローソン裏の線路沿い茅ヶ崎方面へ直進700mのルート)

●バス停西小和田より4分

1-2-33 Kowada, Chigasaki City, Kanagawa Prefecture
▷18 minutes walk from the West Ticket Gate ⇒ South Exit of JR Tsujido station/2 minutes walk from bus stop 「Kowada」

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ご来校時には感染症対策のご協力をお願いいたします] ◯来場時手洗い及び手指消毒 ◯咳・喉の痛みなど風邪症状のある方は、症状がよくなりましたら再度ご来校ください 

NEWS
デッサン基礎体験または見学(面談・約20分)随時募集しています。

​カリキュラム

kotteでは絵画技術と美術史を踏まえた作品理論を軸に、単位表(pdf)に則り授業を進めていきます。カリキュラムの修了目安は2~3年で、1-1絵画材料基礎より順に、章ごとに進めます。絵画の抽象と具象の違いを理解し、自主研究としてインスピレーションや美術館の観覧などを随時行い、彫刻や映像、インスタレーションやその他の表現形態など徐々に現代美術表現へと移行し、修了制作を行います。単位修得後は作家活動のみならず、文体での活動、鑑賞を目的とした活動など、幅広くアートの知識や技術を生かした活動に役立てます。

授業料/クラス

●内税/毎月25日自動引落とし,前月事前決済
●各クラスの曜日の組み合わせ可

​入学金​

¥11.000 
入学特典デッサンスターターセット
クロッキー帳,デッサン鉛筆6B,B,3H,練りゴム,世界堂学生カード

​開講日​ 
毎週(水)(木)(土),第1.3(日)
10:00-12:30/13:00-15:30

[週3回]¥29.000
[週2回]¥20.000

[週1回]¥12.000 (小学3生まで11.000円)
[月3回]¥9.500


土曜日・第1.3(日)
10:00-12:30(小学生,大人,シニア合同)
13:00-15:30(大人,シニア)

水曜・木曜
10:00-12:30・13:00-15:30(
大人,シニア)

プリントアウト用・受講案内

★入学される場合の初回の持ち物や準備等のご案内になりますので、

体験前にご確認ください(PDFダウンロード)


★体験日当日に入学手続きも可能です(15分程度)

★ご質問等 

kotte.art.design@gmail.com または 08011734198 (後藤)まで

​体験授業

●大人,シニア:毎週(水)(木)(土)13:00-15:00,第1.3(日)10:00-12:00 
●小学1年生〜:毎週(土)10:00-12:00,第1.3 (日)10:00-12:00
●授業料の決済完了にて予約完了となります
●①お名前 ②体験希望日 を送信ください 
●作品持ち帰り紙袋(A3程度)をご持参ください

​デッサン基礎

まずは写実的な技術と観察の方法を学びましょう。アートの入り口はここからです。鉛筆などの道具の使い方をはじめ、巨匠のデッサンに習い、これまで当たり前だと思っていた物のあり方を打破していきます。固有色、輪郭線の消去、明度、コントラスト、境界線など物と物の関係性、ピント調整など、写実/リアリズムには様々な「存在する」ポイントがあります。これらに少しずつ、触れていきましょう。[​参考作家:アントニオ・ロペス、ピカソ]

●B4サイズ画用紙に鉛筆
●体験授業料:2.5
00円
★画用紙代・材料代・税込み
​●入学後の初回授業は体験授業時作品の続きを制作します[全6時間]

 

​カリキュラムの意義

​はじめに

​アートとは何か?

アートとは、自由でありながら​美術史に則った世界である。ルール、セオリーが充満した世界――それは難しく権威的に感じるかもしれない。そんなことをせずとも、時代の流れに倣って、新規アカウントを開設するようにわたしたちはいつだって作家になれる。フォロワーや、売れた数によって作家の価値は固定化し、作家として生活していくことはできるかもしれない。
しかし美術とは何だったか。美術とは学問である。ここでアートというと語弊が生じてしまう。いずれ発表していく制作者各々が、美術というジャンルの立場を取るのかどうかがキーとなる。例えばバルーンアート、ボタニカルアート、ネイルアートというように「造形」「描写」「装飾」の側面だけを切り離した立場を取ったアートと、美術史上の文脈に則り、新規性に賭けたアートとでは、同じ創造活動でも全く別のジャンルである。だからわざわざそのアートの範疇を区別するためにエンターテイメントとしてのアートとインテリアとしてのアート、デザインとしてのアートとを区別していくし、大枠での創造を「美術」「現代美術」「デザイン」というようにジャンル分けしていかないと、各活動の本質に齟齬が生じてしまう。今日様々な領域のアートがあるが、ここでは創造の基礎として、美術を学んでいく。美術とは図(アート教養課程)に示したような観点と実践から成る。

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​絵画

​ブログ

絵画は大きく二つに分けて抽象と具象の概念が存在する。絵画においての抽象は、具体的で即物的な表象から切り離される特徴がある。ここでは「絵画に限って」と強調しておく。もしも絵画でない場合は、そもそも矩形かつ携帯可能な、絵の具のような流動性の伴う材料を駆使する絵画の概念が適用されないからだ。だからここでは文学や哲学においての非物質的な抽象とは区別する。
絵画においての抽象とは[1]まずは絵の具の物質そのものの潜在能力である。これに加えて矩形が示す範囲において、構図、面積、空間認識が考慮される。また空間ではなく物理的で化学的な現象として、多種多様な絵画技法のみで抽象画が成立する。また抽象絵画は具象絵画との対比構造において成立する概念のことから[2]「抽象化」という具体的で即物的な事象から、形態のみを抽出して変形させる考えを生み出す。キュビスムのように、大きな変化を加えることによってその具体的な事象そのものをデフォルメさせるのだが、これは元に、対象となる物理的対象が存在するパターンの抽象である。(《アヴィニヨンの娘たち》パブロ・ピカソなど)[3]次に、対象となる物理的存在が存在しないとなると、言語でいう抽象と同様となる。イメージはするが具体的なイメージが定まっていない語(社会、湿度、風景、平和など)を絵画で表象化させようとすることは、目の前に存在するデュラレックス社のコップを描くこととは異なり、完全なる抽象となる。(マレーヴィチ「シュプレマティスム」より)以上がこれまでの美術史における抽象画のパターンである。
絵画においての具象は、19世紀までの抽象画が存在しなかった時代からは存在し得ない語であり、20世紀以降に抽象絵画、抽象的概念と区別するための語として発生した。スーパーリアリズムのように「こういったこと」では誤魔化せない、ありのままの事象への表象化は、具象と特筆する上では欠かせない表象の姿勢である。近世までの絵画では、具体的であっても宮廷絵画や風景画、風俗画ではプロパガンダや宗教神話によって「本質的に抽象化された具象画」になる。それは現代の視座によってドキュメンタリーではないと解明された、抽象が内在された具象画であり、真実か否かは史学的配慮が必要とされるため、ファクトチェックが可能な現代においての具象画とは一線を画する。ジェリコー《メデューズ号の筏》やクールベの裸体表現であっても、作者個人の思想と切り離すことはできない。この報道写真と同様の正確な事実性は、近代以降の美術史においても重要視されることなく、むしろ事実を材料に、脚色や強調、デフォルメなどを施すことで芸術を担保してきた。すなわち具象画といっても、即物的に写し取ることを芸術の世界では求められることはなく、芸術の在り処は抽象の概念をもって成立するとも言える。

​インスピレーション

そもそもどうやって美術作品をつくことができるか?あなたは「何」から作品制作をしようと動機づけられたのか。少なくとも模写のように美術作品を模倣したり、影響を受けて同じようなスタイルで制作しようとする動機は除く。あくまでもオリジナルを目的としたインスピレーション研究である。作品制作のインスピレーションを生む要因は、哲学、科学、物理学、社会学、民俗学、宗教、ナショナリティ、人間関係、精神​、経験などである。これらは既に創られた文化資源とは異なり、材料として横たわっている現象の学問であり、現象そのものである。作品制作の動機となった出来事がどの分野に属していて、なぜその出来事を注視したのかを美術以外の学問を通して研究、把握していく。このフィールドワークは、作品の発生源としての重要な裏付けとなり、作者が作品を語る上でも重要な要素や手がかりとなる。

​美術史

美術史とは、単に時系列での暗記の必要性ではなく、各出来事と出来事の文脈の把握の必要性である。よく勘違いされてしまうことが、ある作家のある作品について好きか嫌いか、その作品が凄いかどうか、である。これには鑑賞者各々の好みの判断が全く無いわけではないが、美術を大まかに把握する大前提としては不必要な観点である。この鑑賞者個人での好みに一見委ねられてしまっている今の日本の現状では、ピカソの一切の功績を読み取ることはできないし、ダダイズムのように前衛を定義させた大きな運動や、印象派や表現主義が前時代の古臭い手法や凝り固まった制作手法の価値観を打破したスキャンダルであった事実、表現における材料そのものを見直してきたメディアアートの痕跡がある故に現代の新しい手法の連続が可能なことなど、美術の価値は大変革を起こすこととされてきたことに目を背けていることになる。もちろん美術ではなく「制作」とか「つくること」のようなセラピーや情操教育としてのアートや「水彩画」や「細密画」「工作」などのジャンルであれば、美術史を学ぶ必要はない。しかし学問として突き詰めれば広義の「つくる」も「技術の鍛錬」も「たのしいから」だけでなく美術史上のある座標や流れにとっては必要不可欠な連動であることを意識していくことになる。つまり美術史とは、デザインとの連動がひとつの側面としてあるということだ。アーツ・アンド・クラフツ運動を経て、コルビュジエらがモダニズムを提唱した20世紀初頭から半ばにかけて、美術家のモンドリアンらデ・ステイルのメンバーは建築家リートフェルトらと共に、建築やデザインと美術とが完全に調和できることに気が付いた。ダダイズムに関しても、キャバレー・ボルテールでは無作為に表現の媒体を探っていった結果、音楽や物理的な出来事、文学も併せて、美術の歓迎する「外の領域」を包括していくことが「アートとは何か」の答えのようだと悟った。今日、これらの美術史の文脈上の観点を踏まえて、新たに美術やデザインに関わる者がどのような立場や意見をもつかが、両者の世界では重要とされている。まずは古代から現代まで他の分野と同様に「どのような世界か」を学習していくことが美術の基礎となる。

​講師​

後藤てるみ
​アーティスト

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Photo:Sakura

1985年神奈川県生まれ。2009年武蔵野美術大学油絵学科卒業。2013年よりアートスクール《kotte》主宰。範囲は美術史、絵画理論、現代美術、デザイン、インスピレーションなど。[学芸員免許:第1235号 取得]

主な活動歴
2024年度 藤沢市内高等学校ゲスト講師

2023年《アーティストの子育て》子育て中のアーティスト12人による調査記録 (藤沢市アートスペース)
2022年《知的生命体》[個展](Gallery月極)、《58のマニフェスト 》、プロジェクト《オペラーカス》( 藤沢市アートスペース)

2020年《物理的な接触ー平和に向けて》プロジェクト[SUPER NORMAL](Gallery OUT of Place TOKIO, 東京)、《形而上絵画》[国立奥多摩美術館~もちつもたれつ奥多摩コイン~](Gallery αM, 東京)

2016-2021年《#111アート》《#共同彫刻》《#保育者アート会議》《こどもの環境芸術》《平成爆発展》ほか展覧会,プロジェクト,授業多数企画 (kotte,神奈川)

2009年《大自然を訴える会》(camp, 東京)、《2009年の芸術》(武蔵野美術大学, 東京)

2008年《国際紛争をやめてください》《ジャンバラヤ》(Art Center Ongoing, 東京)

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