​デザイン=環境設計と、二義的な美術広義のデザインは「設計」です。建造物から文房具まで、供給されるすべての生産物は社会の環境によって左右されるだろう。COVID-19を契機としてデザインの概念に「感染症対策」が追加されただろうから、公共空間をはじめ住宅建築でも新たな概念のはますは大きく変わるだろう。かつて室内外問わず環境空間はオープンな実空間が求められた。しかし未知のウイルスの蔓延と時間的出口のないウイルス封鎖により、物理的隔離を余儀なくされている。坂茂のようにフレキシブルで低コスト、環境的負荷の少ない建築概念は変わらず考慮されるだろう。国内のオープン型住宅は家庭内のリビングなどの共有部(家庭内の公共空間)は空調システムとしての役割を担うためにオープン型を継続させるだろうし、居室はプライベートでありながらホームオフィスとして機能させる必要がある。簡単な給排水の設備も居室には必要だろうか。それは家庭でありながら、シェアハウスのような単位となることも考えられるかもしれないし、プライベートとパブリックはホームオフィス化により益々曖昧――シームレスになる。広義のデザインは建築も含めた社会への諸解決ととらえることができるが、それら社会環境の名脇役として、所謂美術と呼ばれるもの、またはその類=ペインティング、オブジェなどの形式としての(本質ではなく)美術が一定の需要を占める。それは空間としての芸術であり、大衆としての芸術であり、しかも非常に重要である。どう重要であるかは、もう一方の美術、本家の美術と言えるだろうか――対象が不在の美術・デザイン的搾取のない美術を考えると対照的である。より多くの、広く芸術をひらかれた位置にするためには大衆的な芸術は必要であり、それはデザインや建築と密接な関係性を育み、また地域とも連動することができる。しかしこれは二義的な美術であり、善きふるまいは大衆からの良い評価を獲得できても、道徳・倫理という人間としての善い行いが常に付き纏う。これを前提とする建築やデザインの原理と同じく、一義的に美術へ持ち込むことが到底できない。表層的であるので、第一段階としては感じが良いが本質への発展性が見込めない。美術の本質は社会の本質と絡み合う。社会の本質とは水面下のことで、自動的に流れてくる情報や、無思考で捉えられるものではない。これと美術の本質は連携している。単純に表層的な愉しさではなく愉しいとは別の、他人にはあまり見せたくない・躊躇するほどの物事への自発的な第二の部分への表出が美術の本質性と合致する。そして、第一義的な美術は前提として対象者が不在である。それは対象者ではなく、目撃者という美術鑑賞においての可能態にほかならない。

(text:Terumi GOTO,2020,Kanagawa,JP)

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